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タック・ラム(ベトナムの作家)


作家 タック・ラムの生涯

タック・ラム作品一覧

 タック・ラム(Thạch Lam 1910-1942)は、ベトナムの作家であり、自力文団※1の一員である。
 タック・ラムは1910年7月7日に、官吏の父グェン・トゥオン・ニュー(Nguyễn Tường Nhu 1981-1918)と、母レ・ティ・サム(Lê Thị Sâm家族はフエ出身)の間に生まれた。ほかに5人の兄弟と1人の姉がいて、そのうち、ニャット・リン(Nhất Linhペンネーム)とホアン・ダオ(Hoàng Đạoペンネーム)も自力文団のメンバーである。なお、タック・ラムはペンネームであり、本名はグェン・トゥオン・ビン(Nguyễn Tường Vinh 後にグェン・トゥオン・ラン Nguyễn Tường Lân)である。
 ほかに記事を書くときはViệt Sinh、少年向けの話はThiện Sỹと言うペンネームも使った。
 タック・ラムの父は1918年に病気で死んだため、母が7人の子どもを育てなければならなかった。ハイズン省(Hải Dương)のカムザン(Cẩm Giàng)で、タック・ラムはハイズン小学校(現在はト・ヒエウ(Tô Hiệu)小学校)に通った。兄の1人トゥイ(Thụy)が、タイビン(Thái Bình)で教師をすることになり、家族はタンデ(Tân Đệ)に移り、タック・ラムも転校した。しかし生活が苦しくなり、トゥイを残し、家族はハノイに戻った。
 彼はハノイ農業学校に入学したが、その後アルベール・サローバカロレア校(アルベール・サローはベトナムの総督)に進学した。バカロレアの1年目に、彼は2人の兄と共に文筆活動をはじめ、兄のニャット・リンが主催する自立文壇の一員となり、「風俗(Phong hóa)」、「今日(Ngày nay)」という雑誌の編集に加わった。1935年の2月には「今日」の編集人となった。
 この頃、彼は結婚して、妻と彼の姉テー(Thế)と、西湖のほとりのイェンフ村(Yên-phụ)の小さな家に住み始めた。彼は短編小説、長編小説、随筆を書き、雑誌に掲載され、その後単行本として出版された。1942年6月、彼は結核のため、妻と2人の息子、1人の娘を残し、その生涯を閉じた。彼と家族の墓はハノイのハイ・バー・チュン(Hai Bà Trưng)地区にある。

---以上Wikiなどより

※1 自力文団(Tự Lực văn đoàn)
(*より引用)1930年代から起こったフランス植民地政策に抵抗しつつベトナム社会の旧弊打破・新生活運動の推進の中から生まれた.フランス文学の影響を強く受け、平易・明確な文体を使用し、生活環境の中での人物の心理描写を重視した。

2)出版
 タック・ラムの主な出版物は以下のようなものがある。『季節初めの風(Gió đầu mùa)』(短編小説1937)、『農園の日差し(Nắng trọng vườn)』(短編小説集 1938)、『新しい日(Ngày Mới)』(長編小説1939)、『流れに従って(Theo giòng)』(文学評論 1941)、『髪の毛(Sợi tóc)』(短編小説集 1942)、『ハノイ36通り(Hà Nội băm sáu phố phường)』(随筆 1943)、『本(Quyển sách )』、『真珠(Hạt ngọc)』(児童向け図書1940)。

3)作品について
(解説より引用) 民主戦線期(1936年、仏で人民戦線政府が成立し、ベトナムで一定の政治活動の自由が保障され、文学活動も活発となり、多くの作家が作品を発表した時期)には、多くの現実批判文学が書かれた。タック・ラムの多くの小説も、見捨てられた貧しい人の生活を描いている。
 仕事をなくして自殺しなければならなくなった「ある学生(Người học trò)」。耐えられない空腹で人格を破壊されそうになる「飢え(Đói)」。大みそかの夜に二人の娼婦がおだやかな家庭生活を望む「除夜(Tối bà mười)」。
 彼は、古い社会にうもれて辛い生活をおくる女性に同情を寄せる。彼女たちで必死に働き忍従するが、人生はすり減り、消耗し悲しみと嘆きばかり「小間物屋の娘(Cô hàng xén)」。そして彼女たちは封建制の犠牲者でもある「二度の死(Hai lần chết)」。タックラムは労働者の極貧生活を真情をこめて描いた。「怒り(Một cơn giận)」では人力車の車夫の家族の境遇を、「レ母さんの家(Nhà mẹ Lê)」では寒さと飢餓と子だくさんで貧しい農民の家族への傷心の物語を書いた。
 一方、随筆ではベトナム民族の生活文化を愛し、故郷や国への親しみを表現した「ハノイ36通り」「テトの芸術」がある。

参考・引用
 ウィキペディアベトナム タックラムホームページ
 ハノイ36通り解説
 *みんなであちこち訳している内に、引用文献が分からなくなっている所もあります。
  もし間違い、引用文献記載もれなどがあれば、ぜひお知らせください。

  hoa.hue.nhatアットgmail.com(アットを@に)  


ラム兄さん
  私たちがラム兄さんの小説の翻訳をはじめたきっかけは、細井佐和子先生が昔出版された「ハノイ36通り」の本をもっていて、それを勉強のために読むことになったことからです。
 はじめはそのタイトルから、ハノイの旧市街、36通りを舞台にした短編と思っていたのですが、読み進むうちに、内容はハノイのクァー(軽食)の話ばかりとなってしまいました。料理についてはその当時は資料がほとんど無く、読むのにたいへん苦労しました。
 しかし、さらに読み進む内に、料理の話の中に、ラム兄さんが思いを込めて語るハノイへの愛情がだんだん理解できるようになり、最後にはすっかりハノイ36通りの世界にはまってしまったわけです。
 思えば「虚構の楽園」 を書いた作家ズオン・トゥー・フォンも、料理の描写は、匂い立つような、美しい表現です。ハノイを愛している作家は、料理の表現も愛情がこもって、美しいのかもしれません。
【管理人】




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