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Hà Nội băm sáu phố phường
Thạch Lam 1943
エッセイ ハノイ36通りのあらすじ タックラム

ハノイ36通りについて
当時の作家タックラムが週刊誌「ガイナイ(今日)」1940年3月2日号から1940年9月7日号(ガイナイ最終号)まで連載(途中2回休載) 当時のハノイのベトナム人や街の姿を軽妙に描く。 
ベトナム語原文wiki※   ハノイ36通り初出誌PDF

※出版されている本や公開されている原文には下記の部分が掲載されていない。
 (1)第3話 カイ・フン作「花園の修復(訳者による題)」  原文  抄訳
 (2)追記 タック・ラム作 バインイットの呼び名(訳者による題)  原文  抄訳

1.ハノイ36通り  序文

Hà Nội băm sáu phố phường   Lời tựa

 フランス人にはパリ、イギリス人にはロンドン、中国人には上海がある。彼らは熱烈に愛をこめて、その街を語る。私たちにも、たくさんの美しさを持つ街、ハノイがある。ハノイは本当に美しく、愛おしい。

2.店の看板

Những biển hàng

 ハンダオ通りでは動物の看板を大きくする競争があって、ついに看板が禁止になってしまった。


Hang Dau

3.フランス語を書く人々

Người ta viết chữ Tây

 ハノイの人々は、わざわざとフランス語の看板を書くのが好きだ。そしてなぜかそれは、まちがっている。

1941年 日本人の書いた「仏印 絵と文」より
 我々は、またぶらぶらと歩いた。それは、久し振りにゆっくり休めた日曜日の午後だった。疲れた目にうつるグランラック(タイ湖)の夕景は、まだ光度の強い、オレンジ色の空の下に、遠く遙かに、際限もなく小波を煌めかして、湖畔に立つ高い教会堂の先だけに、残光が照り映え、クリーム色の美しい家並みが、静かな水面に影を落として、印象派の絵に見る様な、美しい外光と、ローマンティックな、詩情の感じられる、絶好の眺めであった。
 湖の端にボートハウスがある。その入口の門に、片仮名で
 『キヨクナリテイルチ』
と書いてあった。許可なくて入るな、である。誤字の多さは、感心させられる程だが、仏印(フランス統治時代のベトナム)のフランス人の家に書かれてあるものだけに、面白く感じられた。

1969年「ベトナムの民族・文化・教育」より
 フランス兵は母国語なのにフランス語のつづりの間違えが多い。アフリカ系フランス兵は間違えない。

4.36通りの店 ムットの店、砂糖の店・白い塩の店

Hàng mứt, hàng đường, hàng muối trắng tinh

 黎朝や陳公のタンロンの古い遺跡が失われつつある。新しい飾りや、新しい建築が、ハノイの景観を損ねている。


Hang Duong

5.ハノイのクア(お菓子・軽食)

Quà Hà Nội

ハノイのクアは土産となって、全国の人たちに風雅さを届けている。

6.クアの店をたずねて

Hàng quà rong

 最近フォー(米のスープ麺)づくりでは、若い人が活躍して塩味、渋味、酸味、辛味、さまざまなフォーを作っている。古いフォーづくりの職人は安心してはいられない。

ソイとチャオ、ゾールア、ティエットカインやロンロン、フォー、ワンタン

7.さらにハノイのクア

Vẫn quà Hà Nội

 私はブン・オック(タニシのめん)が好きだ。自分が食べるのではなく、芸妓や遊郭の姐さんや娘達が、一心不乱にそのクア食べる姿を見ること、そして必死にブン・オックを作る娘たちの姿を見ることが。

ブン・リエウ(bún riêu)、ブン・チャー(bún chả)、タン・クオン(thang cuốn)、ネム・チュア(nem chua)、ミエン・ルオン(miến lươn)、ブン・オック(bún ốc)

8.フォーについて追加

Phụ thêm vào phở

 フォーは豆腐を加えるなど改革が進んでいる。チェオやトゥォン(ともに古典芸能)の改革と同じように。

9.補遺

Bổ khuyết

ブンブンは、黄色い(カレーのような)里芋のブンである。

10.ブンスオンと汁のブン

Bún sườn và canh bún

 ブンスオンとカインブオンという2つのブンがあって、一方はやさしい味、一方は強い味だ。

bun suon canh bun

11 .ミンパオとザイゾー

"Mìn pháo" và "Giầy gìo"

 蒸しパン売りのおばさんが、あたたかいチャー(挽肉の焼いた物)をはさんだ、パンを売りに来て、頼むとほかほかのパンをかまどから出してくれる。

12.ハノイのクア

Còn quà Hà Nội

 クアを売る物売りの様々な呼びかけの声が、ハノイの路地にひびく。それはハノイの空気を作り出しているのではないだろうか。

ハン・ドン(Hàng Ðồng)、教会通り(phố Nhà Thờ)、マーマイ街(phố Mã Mây)、
平民街(phở Bình Dân)、Hàng Ðồng、シン・トゥ街、クアン・ラック(Quãng Lạc)、
ハン・ブオン(Hàng Buồm) バイン・クオン、ブン・クオン(bún cuốn)、さつま揚げ(chả rán),
エビあんのバイン・イット(bánh ít)、バイン・バオ(bánh bao)、バイン・ベー(bánh bẻ)、
緑豆のチェー(lục tầu xá)、蓮の実のチェー売り(chè sen)、芝麻糊?(chí mã phù)、
バイン・チョイ・ヌオック(bánh trôi nước)、ファン・シー・トーン(Phán sì thoòng)、
バイン・トム(bánh tôm)

13.専門店

Những thứ chuyên môn

 ベトナム各地に名産の菓子があるが、ハノイで何になるだろう。バインコムとバインスーセーは、婚礼の時に配る2種類の菓子で、おいしく美しい色形をしている。ハノイの老舗では、絶えることなくこれらの菓子を作り続けている。

Hang Giay ハン・ザイ通り、 バイン・ガーイBanh gai、バイン・ゾー banh gio、
バイン・ザイbanh giay banh lam、 チャー・ヌオン cha nuong、
バイン・バン banh bang、バイン・ダウ banh dau バイン・コム banh com、
バイン・スー・セー banh xu xe、 メー・スーン me xung、バイン・マイン・コン banh manh cong

14.らくがん

Bánh đậu

 ラードと緑豆の粉で作るバインダオは、ハノイの名物である。最近バニラ味など新しい味にする店もあるが、昔ながらの味を守る店もある。

ハンダオ通りとハンドゥオン通り Banh dau

15 .落花生の飴菓子

Bánh khảo, kẹo lạc

 おいしい菓子を作る店も、名声にあぐらをかいて、努力しないのは本当に残念なことだ。

バイン・カオ(bánh khảo)と落花生の飴菓子(ケオ・ラック kẹo lạc)、ゴマの飴菓子(ケオ・ブン kẹo vừng)

16 .青刈り米のお菓子

Một thứ quà của lúa non: cốm

 ヴォン村のコム菓子は、採ったばかりのハスの葉で包んで、新鮮できれいな菓子だ。コムはベトナム独自の食べ物、青く広々とした水田からの贈り物だ。

Vong    Banh com、cha com
コムヴォン(ヴォン村の青い米の菓子)  コムヴォンハノイの菓子の中でも特別な菓子だ。未成熟の青い米から作るお菓子で、婚礼の席にも用いられる。かつては作り方は秘伝で、家族でも女の子は結婚してしまうので教えられなかった。 pp148-151,2010,”AM THUC THANG LONG - HA NOI”,NHA XUAT BAN PHU NU

17.クアすなわち我々

Quà ... tức là người

 食べ物の好みは人それぞれで、とても辛い物やにおいが強い物を好む人がいるのはわかる。私は雰囲気のあった昔のゴマ飴売りや粉飴売りを尊ぶ。しかし今のハノイには顔料やごまかしのある物が増えてしまった。

18 .専門店

Vài thứ chuyên môn nữa

 色々なクアは、よく似ていて、夏の空の流れ星のように通り過ぎ、現れては消えていき、その跡をしるすことができない。これらのクアは、あっという間に流行し店ができる。クアの味も確実であれば、新しくとも長続きするかもしれない。
 ベトナムには、しっかりした風味の、実においしいクアがある。大部分は昔からあるもので、秘伝の味があり、由緒があり、ベトナムの国土の濃厚な風味がある。それは、ベトナムの山河と田畑の産物で、ベトナム人の価値観の指標であり、粋でもあり、真実でもある。
 しかしベトナム人はめずらし物好きだ。今まで愛していたものをいまや軽蔑しはじめている。やがて、おいしさや風味を忘れてしまうだろう。毎日きちんと作った物に、もはや注意を向けない。多くの家伝の味が段々に消えていき、大切な技能が守られない。我々はクアを食べたり、飲んだりすることを軽んじて、本当はクアを好きで必要なことを、決して表に出さない。正直にそして誠実になって、自分たちが愛している物を認めるべきなのだ。  

Hang Bac ハン・ベ-(Hàng Bè)、ゾー・グ(Gia Ngư)、ハン・バック(Hàng Bắc)、ハン・ブオム(Hàng Buôm) バイン・トム(bánh tôm nóng)「バイン・ボ・チェ」(bánh bò chê) 「バック・チュック(bạc chúc)」「ザウ・チャック・クアイ」

19 .食と娯楽

Nhung chôn an chơi

 ハノイのドンスアン市場、サイゴンのベンタイン市場、チョロン市場、老給仕からまだおくびょうな少女まで、市場は都会人の姿の縮図だ。

cho Dong Xuan cho Hang Da

20 .夜の市場

Cho Mát ban dêm

 青物市場は、野菜の新鮮さを保つために夜開かれる。田舎の人は、満身の力を込めて大八車をガタピシいわせながら押してやってくる。

21 .おこわを売るおばあさん

Bà cu bán xôi

 ドンスオン市場で、夜におこわを売るおばあさんがいる。このおこわは、貧しい人々にとって、満足できる美食なのだ。

Hang Khoai ハンコォアイ通り

揚げパンbánh tây chả、

22.喫茶店の寅(ゾン)ちゃん

Hàng nuoc cô Dân

 ドンスオン市場の喫茶店で、若い少女の寅ちゃんはお茶を売っている。美人ではないがまじめで、津々浦々にいる、こんな少女が、とても大事な存在なのだ。;

23.高級料理店

Các hieu cao lâu khách

 ハノイには立派な高級中国料理があり、ハノイっ子も、人の招待や宴会に使う。しかし普段はなじみのネム屋、フォー屋、おかゆ屋に行く。そこでは、わずかなお金で料理、酒、香草が楽しめる。
 金持ちから貧しい文士まで、様々な人が、ハノイ独特の空気をかもしだしている。

Hang Buom ブオム通り


ハノイ36通り(第3話) 花園の修復 

※第3話はカイ・フン作で、出版された本には掲載されていない。元字が読みにくく、抄訳にまちがいがあるかもしれない。タイトルは訳者

 ハノイには美しい庭園がある。インドシナの中でもすばらしく、エメラルドの中のダイヤモンドの庭園で、様々な色がビロードのように敷き詰められている。宮廷の花園の豪華さは皇女のごとく、宮城に沿った花園の清さはかわいい少女のごとく。
 ただ不幸なのはハンタン花園だ。かつてそこで祭りが行われ、油をぬった柱が建てられ※1、皆がよじ登ろうと騒ぎになって、花園の草はすっかり荒れ果ててしまった。
 しかし、ある日突然人々が現れ、ツルハシを持って土地を耕し始めた。ゆっくりゆっくり草を植え、うっかり人が入らないようにして、いなくなったと思ったら、また現れて肥料をあげて、水が流れるよう畝を作った。草はまた緑になった。
 “戦争”その意義はわかる。我々が折られた花の庭園を通り過ぎるたびに。戦争の目的は破壊だ。そして、ハノイにはその破壊(平和の破壊)を止めようとする活動がある。

※1 祭りの時に、登りにくいように油を塗った柱を立て、上に縁起物や高価な物を載せて、男達がそれを取ろうと、競ってよじ登るそうです。登るのはかなりむずかしいそうです。

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