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1940年代のハノイを歩く

当時の資料を見ながら、タイムマシンに乗った気分で、1940年代のハノイを見に行きましょう。

「1940年代のハノイ生活・旅行ガイド」         1940年代 日本人のベトナム紀行と研究

---1940年代ハノイ生活・旅行ガイド---

解説
 タックラムが小説を書いていた1940年代のハノイを知るために、当時の生活・旅行ガイド風にハノイを紹介します。

◆◆1 1940年ハノイ旅行

◆ベトナムには客船で! 「日本からハノイへの交通手段」
 日本からハノイに行くなら、何といっても、客船または貨客船が一番なり。1941年には撤退せるも、フランス海運会社による、日本-中国-ベトナム便があり。タイのバンコクやベトナムのホーチミン市を経て、ハノイに行くのもよし。バス路線も整っている。外国の船が苦手な方は、日本の船を使うもよし。出発地は横浜か神戸の港である。
 なお、航空機で行く空路もあるが、現代とはちがい、ゆっくり飛ぶので、時間がかかり、体力のない人にはおすすめできない。

◆できればフランス語も話すべし ベトナム語と漢文 「言語」

 ハノイのベトナム語は北部方言である。サイゴン(南部方言)やフエ(中部方言)とは発音がちがうので、注意を要す。1900年代前半から使われている文字は「クォックグウ」(国語)といってローマ字と似ている。漢文ができる人も残っているので、筆談もできるかもしれない。
 またベトナムはフランスの植民地であるため、フランス語がよく通じるものなり。ベトナム人で新しい教育を受けた人は、フランス語で話せる。

◆ホテルに泊まる
 ハノイには、高級のホテルがあまたあるなり。ホアンキエム湖の南にあるグランドホテル「メトロポール」が一番であるが、値段も高い。8~10ピアルトル、日本円にすると8~20円(諸説あり)、米価に換算し2010年の価値では3万円ほどであろう。アジア人は多少差別も受けるかもしれない。

◆市内の移動
 路面電車が、フランス人街と、ベトナム人街を結んで走っている。人力車もあるので、使うときは店の人に呼んでもらうことだ。人力車の値段は交渉すべし。
 健脚の者は市内中心部は歩いても回れる。また自転車があると便利である。

◆レストラン・食事
 外国人向けには、ホテルのフランス料理店や、高級中国料理店があまたあり。しかしせっかくハノイに来たのであるから、ベトナム人の旧市街「ハノイ36通り」などで、道端の店で食事をしてみるのがよい。ハム入りの餅や、皿に盛る定食、おこわ、おかゆ、ベトナムのハムをはさんだサンドイッチ、米のめんのフォー、同じく米の細いめんのブン、えびとイモの天ぷらなど、おいしいことうけあいである。
 絶対はずせないのが、ハノイ名物の焼き肉めん「ブンチャー」、ブンに焼き肉をのせ、甘酸っぱいタレで食べる。それから、米を薄いクレープのように蒸して、挽肉のあんを包んだ、やまらかくてしっとりした「バインクオン」がある。

◆お茶、コーヒー、喫茶店
 ホテルやホアンキエム湖南側のフランス人街には、しゃれたカフェがあり、おいしいコーヒーを出してくれる。ケーキもとても美味だ。
 しかしベトナム人が好んで飲むのはお茶であり、小さな茶わんに、薫り高いお茶をいれて、少しづつ飲むなり。ぜひ、ホテルでも試してみること。

◆くだもの、おみやげ
 ベトナムは南国であり、特に夏期は、たくさんの果物を食べることができる。
 また、おみやげには、「バインダウ」という緑豆のらくがんや、「ムット」という果物の砂糖漬けが、長持ちもしておすすめである。

◆◆ 1940年ハノイの生活文化

◆服装と髪型
 最近、髪を短く切った、洋服と靴の姿のハノイ人も増えてきた。もとはベトナム男性も女性も、髪を長く伸ばし、頭の上に巻き付けたりなどしていた。服はズボンに、中国服のような「アオザイ」(長い服)を着ている。ノン(笠)をかぶっている者も多い。
 はだしで歩く人が多く、靴は履かない。暑くて湿気があるゆえ、靴を履いたら、くさく、あっというまに水虫になってしまうであろう。ちなみに赤ん坊にもおむつはしない。自然乾燥である。おむつをしたら、あせもやかぶれで大変である。

◆目上を敬う
 ベトナムは儒教の国です。目上の人は敬うべし。ベトナム人は名前で呼ぶからといって「Hi Ho!」などと呼び捨てしてはいけない。おじいさん、おにいさんなど敬称を付けるべし。

◆道路・水路
 フランス人街は、アスファルト舗装された広い道路に、歩道も設置され、歩きやすくなっている。
 物流においては、昔からの水路も多く利用されている。また近隣への船もある。

◆上下水道
 フランス人街を中心に、市内には上下水道が整備されている。ホテルでは安心して洋式トイレの水を流せよ。

◆電気
 フランス人街を中心に、電気が引かれている。街灯も所々ある。

◆住宅
 フランス人街には、広い区画のゆったりした2~3階建ての洋館が並んでいる。ハノイ36通り(ベトナム人街)は、日本の商家と同様に、間口が狭く、奧に細長く、1階建てで、入口は店になって、奧に住居がある。
 ハノイの郊外は最近の人口急増のため、住宅環境が劣悪なスラムが増えている。
 なおフランス人もベトナム人も、寝るときは寝台(ベッド/ズオン)を使うなり。

◆買物
 フランス人街に、高級デパートがあるが、値段は高い。ベトナム人街には専門店がたくさんある。

◆学校
 普通小学校の他、高校、大学予科などがある。エリートをめざすなら「アルベールサロー高校」を経てフランス留学もよいだろうが、愛国主義者の「東京義塾」もあるので、こちらもおすすめする。

◆病院
 保護病院など西洋式の病院もあるが、トゥックドンイ、トゥックバックという漢方薬と、漢方医もいる。

◆夜遊び
 カムテンに行くと、妓楼があって、美しい「仙女」たちが、会話を楽しみ踊ってくれ、歌士の歌も楽しめる。(食事もでき、必ずしも泊まらなくてもいいので、日本のカフェー、中国や沖縄の伎楼、現代の銀座のバーのイメージであろうか)

◆芸能
 チェオ(民間の歌芝居)、トゥオン(中国から伝わってベトナムで発展した芝居 歌舞伎に似る)を楽しむべし。

参考資料
東京日日新聞記事(1941/9/25)
「仏印」安東収一(1941)
「ハノイ36通り」タック・ラム(1943)
ベトナムの歴史、都市計画資料

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